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商品の詳細
カルロス・クライバー〜ある天才指揮者の伝記(上)(音楽書)の画像

商品名:
カルロス・クライバー〜ある天才指揮者の伝記(上)(音楽書)
(217940)
出版社:
音楽之友社
ジャンル名:
評論・伝記
定価:
4,104円(税込)
サイズ:
四六
ページ数:
496
編著者:
訳:喜多尾道冬、広瀬大介
著者名:
アレクサンダー・ヴェルナー
ISBNコード:
9784276217942
初版日:
2009年9月30日
再発行日:
2011/1/31 第4刷発行
一口メモ:
謎の多かったこの指揮者の生涯の足跡をできるだけ丹念にたどり、本人を直接知る人々から「クライバーの秘密」を多く聞き出すことで、その人となりを明らかにし、その芸術の源に迫った力作である。
収載内容
 
■I 遅ればせの天才--両大陸での長い修業時代
 
ベルリン 1930年--ある伝説の誕生
 
ベルリンからブエノスアイレスへ 1935〜1947年--両大陸の間で
 
ブエノスアイレス 1948〜1953年--水平線上の曙光
 
ミュンヘン 1953年--オペレッタの修業時代
 
ポツダム 1954〜1955年--突然終りを告げたデビュー
 
チューリヒ 1956年--父の死
 
ウィーン 1956〜1957年--指揮台に空きなし
 
ザルツブルクとハンブルク 1957〜1960年--幕間劇
 
デュッセルドルフとデュースブルク 1957〜1960年--ついにオペラを体験する
 
デュッセルドルフとデュースブルク 1960〜1962年--楽長への登用
 
■II 頑固な男--際立ち始める個性
 
デュッセルドルフ 1962年--ラインのパリ
 
デュースブルク 1963年--ラヴェルのバレエ音楽体験
 
デュッセルドルフ/デュースブルク 1964年--ラインでのフィナーレ
 
シュトゥットガルト 1964年--あるスキャンダル
 
デュッセルドルフ/デュースブルク 1964年--ヴェルディを最後にラインを去る
 
フランクフルト 1964年--成果につながらぬデビュー
 
チューリヒ 1964/65年--反抗的な楽員にてこずる
 
シュトゥットガルト 1965五年--「同世代の中で最も優れた指揮者」
 
チューリヒ 1965年--バレエからの訣別とプラハでの研究
 
チューリヒとシュトゥットガルト 1966年--(ヴォツェック)をめぐるスキャンダル
 
ミュンヘンとウィーン 1967年--オペラのひと休み、演奏会で活躍
 
■III 不機嫌な男--芸術をめぐる必死の格闘
 
シュトゥットガルト 1967年--競り合う二人の芸術家
 
プラハ 1968年--父親の軌跡、ふたたび
 
シュトゥットガルト 1968年--(カルメン)の拍手喝采
 
ミュンヘン 1968〜1970年 ナツィオナル・テアーターの旋風
 
シュトゥットガルト 1969/70年--世界レヴェルの(トリスタンとイゾルデ)
 
ミュンヘン 1970年--ハ長調の爆発
 
ミュンヘン 1970/71年--(ヴォツェック)センセーション
 
シュトゥットガルト 1969〜1972年--仕事場への一瞥
 
シュトゥットガルト 1971年--(エレクトラ)騒動
 
シュトゥットガルト 1970年--またしても(ばらの騎士)
 
シュトゥットガルト 1971/72年 (トリスタンとイゾルデ)をめぐる不和
 
■IV 模範的な男--不滅の演奏
 
ミュンヘン 1972年--「不滅」の(ばらの騎士)
 
ケルン 1972年--父親の遺産
 
ベルン 1972年--(トリスタンとイゾルデ)演奏会形式
 
シュトゥットガルト 1972〜1975年--ひとつの時代の終り
 
ハンブルク 1971〜1973年--カルロス・クライバーを求めて
 
ドレスデン 1973年--初めてのレコード録音
 
ハンブルク 1974年--辛い永遠の別れ
 
ウィーン 1973年--父親の故郷で、熱狂の嵐
 
チューリヒ 1974年--ふたたびスイスへ
 
ロンドン 1974年--コヴェント・ガーデンへのデビュー
 
■V ワーグナー指揮者--挑戦の地バイロイト
 
バイロイト 1974年--「緑の丘」へのデビュー
 
ミュンヘンと東京 1974年--極東の魅惑
 
ブラティスラヴァとイェーテボリ 1974年--ウィーン・フィル演奏会へのデビュー
 
ウィーン 1974〜1978年--ウィーン・フィルとのレコード録音
 
ミュンヘン 1974〜1975年--ほろ酔い気分の成功
 
ミュンヘン 1975年--(椿姫)の障害
 
バイロイト 1975年--「緑の丘」への帰還
 
ミラノ 1976年--ようやくイタリアへ
 
ミュンヘン 1976〜1977年--プラシド・ドミンゴとスタジオに
 
ミュンヘン 1976年--スヴャトスラフ・リヒテルとの共演
 
バイロイト 1976年--「緑の丘」への別れ