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商品の詳細
クラシック迷宮図書館(音楽書)の画像

商品名:
クラシック迷宮図書館(音楽書)
(片山杜秀の本 3/音楽書月評1998-2003)
出版社:
アルテスパブリッシング
ジャンル名:
評論・伝記
定価:
1,944円(税込)
サイズ:
四六
ページ数:
280
著者名:
片山杜秀
ISBNコード:
9784903951270
初版日:
2010年1月31日
一口メモ:
レコード芸術』誌に10年間にわたり連載された「片山杜秀のこの本を読め!」のうち、1998年から2003年までの6年間に書かれた計72本の書評に、同時期に書かれた2本のエッセイを加え、単行本化。
収載内容
 
序にかえて──音楽は読むことと見つけたり
 
音楽なんかやめちゃえ!(パスカル・キニャール『音楽への憎しみ』)
 
小太鼓/ギロチン、鐘/暴動(アラン・コルバン『音の風景』)
 
ソナタ形式と父権社会(スーザン・マクレアリ『フェミニン・エンディング』)
 
一億総人間レーダー化計画のはてに(最相葉月『絶対音感』)
 
映画音楽論は蛮勇で行け!(小林 淳[著] 井上 誠[共編]『伊福部昭の映画音楽』)
 
図形楽譜から出直せ!(一柳 慧『音楽という営み』)
 
右肩下がりの音楽史(ジェイミー・ジェイムズ『天球の音楽』)
 
うるさい世界の私(ハンナ・メーカ『失聴』)
 
政男と誉士夫(下嶋哲朗『謎の森に棲む古賀政男』)
 
神はエレベーターに宿り給う(ジョゼフ・ランザ『エレベーター・ミュージック』)
 
電子音楽とノスタルジー(田中雄二『電子音楽イン・ジャパン』)
 
ほんとうは深刻な「お気楽入門書」(許 光俊『クラシックを聴け!』)
 
アジア・クラシック三都物語(榎本泰子『楽人の都・上海』)
 
サイボーグはオルガンの夢を見るか(山之口洋『オルガニスト』)
 
無調と無責任(中野 雄『丸山眞男 音楽の対話』)
 
癒しとしての総音列主義(カールハインツ・シュトックハウゼン『シュトックハウゼン音楽論集』)
 
北極圏のピアニスト(ジョン・P.L.ロバーツ+ギレーヌ・ゲルタン[編]『グレン・グールド書簡集』)
 
ヴァーグナーは悪、ベルリオーズは善(ジャック・バーザン『ダーウィン、マルクス、ヴァーグナー』)
 
芸術と大量破壊兵器(フリードリヒ・キットラー『グラモフォン フィルム タイプライター』)
 
黛敏郎をバカにするな!(岩城宏之『作曲家・武満徹と人間・黛敏郎』)
 
安川加壽子を見くびるな(青柳いづみこ『翼のはえた指』)
 
ベルリン・オリンピックと「日本人」作曲家(井田 敏『まぼろしの五線譜』)
 
永遠に根づかない日本オペラ?(佐々木忠次『オペラ・チケットの値段』)
 
ハルビン、わがふるさと(岩野裕一『王道楽土の交響楽』)
 
プロテイン音楽革命(深川洋一『タンパク質の音楽』)
 
ヴァーグナーはグローバリズムに反対する(ヨアヒム・ケーラー『ワーグナーのヒトラー』)
 
オペラ【丹波與作】の夢と現実(渡辺 裕『宝塚歌劇の変容と日本近代』)
 
“日本のバーンスタイン”になりそこなった男(山本直純『紅いタキシード』)
 
武満徹という迷宮(長木誠司+樋口隆一[編]『武満徹 音の河のゆくえ』)
 
日本音楽と四度音程(山下邦彦『楕円とガイコツ』)
 
アニメ主題歌は性差別音楽だ?(北川純子[編]『鳴り響く性』)
 
覆面試聴のススメ(『ザ・ワイアー』(トニー・ヘリントン)[編]『めかくしジュークボックス』)
 
「楽聖」とガンバリズム(西原 稔『「楽聖」ベートーヴェンの誕生』)
 
トスカニーニは嫌い、クレンペラーが好き(和田 司『変貌する演奏神話』)
 
スターリンこそが超前衛である!(ボリス・グロイス『全体芸術様式スターリン』)
 
グールドはブーレーズと共闘するか(ケヴィン・バザーナ『グレン・グールド演奏術』)
 
『セロ弾きのゴーシュ』のユートピア(宮澤賢治『賢治の音楽室』)
 
親分子分と一君万民(兵藤裕己『〈声〉の国民国家・日本』)
 
劇場国家としての文革期中国(牧 陽一+松浦恒雄+川田 進『中国のプロパガンダ芸術』)
 
伝統なんて、信じるなよ!(谷本一之『アイヌ絵を聴く』)
 
踊り踊るならバロック音頭(竹下節子『からくり人形の夢』)
 
『春琴抄』と座頭市(チチ松村『盲目の音楽家を捜して』)
 
『ドグラ・マグラ』と〈歓喜の歌〉(半澤周三『光芒の序曲』)
 
名人芸、または当たりつづける宝くじ(ウラディミール・ジャンケレヴィッチ『リスト』)
 
パルジファルはブッダの化身(カール・スネソン『ヴァーグナーとインドの精神世界』)
 
近代日本と海賊版文化(大家重夫『ニッポン著作権物語』)
 
オーセンティックという虚妄(渡辺 裕『西洋音楽演奏史論序説』)
 
NHK交響楽団の正体!(岩城宏之『チンドン屋の大将になりたかった男』)
 
「宇宙の音楽」なんか聞こえない!(ヨハンネス・デ・グロケイオ『音楽論』)
 
江戸と東京のつなぎ方(小宮多美江『受容史ではない近現代日本の音楽史』)
 
ブラバンは民衆の音楽だ?(阿部勘一+細川周平+塚原康子+東谷 護+高澤智昌『ブラスバンドの社会史』)
 
シュニトケはブーレーズを敵視する(アレクサンドル・イヴァシキン[編]『シュニトケとの対話』)
 
もしも一九三九年に「神」が「降臨」していたとするならば……(横田庄一郎『フルトヴェングラー 幻の東京公演』)
 
「名器」を弾くと下手になる?(石井 宏『誰がヴァイオリンを殺したか』)
 
植物と動物と子供とピアノ(ウラディミール・ジャンケレヴィッチ『遙かなる現前』)
 
見えない神、聴こえない主題(ピエール・ブーレーズ『標柱 音楽思考の道しるべ』)
 
「近代の超克」と【ドン・ジョヴァンニ】(河上徹太郎『クラシック随想』)
 
人間よ、ノイズに還れ(勝 道興『音響のオルガノン』)
 
音のない映画は死物である(ミシェル・シオン『映画の音楽』)
 
音楽は人の不幸を知るためにある(Th.W.アドルノ『アドルノ 音楽・メディア論集』)
 
「オレ様」のいない国で(鈴木淳史『不思議な国のクラシック』)
 
大革命の騒音がベルリオーズの生みの親だ!(アデライード・ド・プラース『革命下のパリに音楽は流れる』)
 
遅かりし、パイプオルガン(草野 厚『癒しの楽器 パイプオルガンと政治』)
 
夏至のスサノヲ、冬至のアマテラス(北沢方邦『感性としての日本思想』)
 
楕円と眩暈(神月朋子『ジェルジ・リゲティ論』)
 
自由主義・左翼・未来派という三題噺(秋山邦晴『昭和の作曲家たち』)
 
長崎出島のジャワ人(中村洪介『近代日本洋楽史序説』)
 
【画家マティス】こそナチ音楽の規範である(マイケル・H.ケイター『第三帝国と音楽家たち』)
 
挫折のオペラ史(スラヴォイ・ジジェク+ムラデン・ドラー『オペラは二度死ぬ』)
 
「女流」と「騒音」(ポーリン・オリヴェロス『ソフトウェア・フォー・ピープル』)
 
神の子、ブラームス!?(アーサー・M.アーベル『我、汝に為すべきことを教えん』)
 
音楽はなにも表現しないと、竹林の七賢は言った(?康『声無哀楽論』)
 
『音楽入門』とその時代(伊福部昭『音楽入門』)
 
耳の小説、反復の小説(内田ひゃっけん『サラサーテの盤』)